ジェームズ・コノリー

サッカー少年だった革命家
 
中村俊輔のグラスゴー・ケルティック(セルティック)(Celtic)移籍により日本でも注目されるようになったサッカーのスコットランドプレミアリーグですが、ここ最近はグラスゴーのレインジャーズケルティックの争いが目立ち、時にハーツが加わったりしています。
ケルティックはアイルランド系/カトリック系のクラブで、グリーンのユニフォームはアイルランドを表し、アイルランドの国旗を恥ずかしげなく掲げ、またサポーターもアイルランドAAA国旗のフェイスペイントをしたりもします
 
ケルティックはプロテスタント系のレインジャーズと双璧をなし、まさに「因縁の戦い」をしているのですが、アイルランド系/カトリック系のクラブはスコットランドの首都エディンバラにもあり、その名をハイバーニアン(Hibernian)と言います。ヒベルニア(Hibernia)というのはアイルランドの古称で、スコットランドがカレドニア(Caledonia)と呼ばれていたのに対応します。
このクラブのユニフォームももちろんグリーンです。「Erin Go Bragh(アイルランドよ永遠に)」はよく知られたロゴです。
エディンバラ地区にはケルティックに対するレインジャーズのようなクラブはなく(強いて言えばハーツくらいでしょうか)、従って、グラスゴーで見られる「因縁の対決」はありません。
ハイバーニアンはメチャメチャ強いわけではありませんが、リーグ戦では常に中位以上にいますし、これまでにリーグ戦で4度優勝しています。
こういうと、ケルティックを追っているハイバーニアンという感じがしますが、事実はそうではありません。
 
ハイバーニアンの創立は1875年ですが、ケルティックは11年遅れの1888年です。
日本ではあまり知られていないことですが、実はケルティックハイバーニアンのグラスゴーバージョンとして誕生し、初期にはグラスゴー・ハイバーニアンというクラブ名にしようという動きもありました。
そもそもハイバーニアンはエディンバラ地区に住むアイルランド系住民の間で作られたクラブです。
ケルティックの最初のゲームはハイバーニアンとの連合でレインジャーズ相手に行われ、5-2で勝利しています。
 
このように伝統のあるハイバーニアンですので、そのサポーターの中には歴史上の人物や有名人がたくさんいます。
その中でも最もよく知られている人物は恐らくジェームズ・コノリーJames Connolly、ゲール語でSéamas Ó Conghaile)でしょう。
 
ジェームズ・コノリーはアイルランドからの移民の子として1868年6月8日、スコットランドのエディンバラ地区にあるカウゲートで生まれました。
小さい頃はハイバーニアンでボールボーイをやっていたこともあります。
10歳で学校を離れ、14歳で英国軍に入った彼はアイルランド勤務に就きますが、この時に英国人(イングリッシュ)に対する増悪感が生まれたといいます。
彼は労働組合運動などを通じ社会主義者となり、1889年、21歳の時にスコットランドへ帰国しますが、1896年(28歳)、再びアイルランドへ行き、1913年にアイルランド市民軍を設立し、それまでにも抱いていた反英(反イングランド)の動きを加速させて独立運動に加わります。
そして1916年、ピアース(Pádraig Pearse)らとイースター蜂起に立ち上がり、中央郵便局(GPO)の司令部で行動します。
蜂起軍が公布した暫定政府の宣言に署名した7名のうちの1人でもあります。
結局、この蜂起は失敗しますが、彼が捕らえられたときにはもはや歩くこともできないほどの戦傷を負っていました。
彼は5月12日、7名の中では最後に処刑にされましたが、もはや立つことも出来なくなっていたため、椅子に腰掛けさせられたまま銃殺されました。英国のその手口はアイルランド人の反英感情をかきたて、アイルランドの独立志向をさらに強めました。
 
ジェームズ・コノリーは故郷エディンバラへの思いをいつも抱いていたようで、ずっとハイバーニアンのサポーターだったと言われます。
 
J1第11節が行われる明日、12日は奇しくもジェームズ・コノリーの命日に当たります。
私はジェームズ・コノリーにも思いを馳せつつ、清水エスパルスを相手に戦うアルビレックス新潟を応援することにします。(ジェームズ・コノリーとアルビレックス新潟には何も関係がありませんけど。)
 
       
 ジョニー・マケボイ(Johnny McEvoy)の歌うジェームズ・コノリー
 
James Connollyという音楽(歌)の原曲はスコットランドのDark LochnagarあるいはMull Of Kintyre、特に前者だと思いますが、未確認です。(Lochnagarはスコットランド東部の山、Mull of Kintyreはスコットランド西方のアイルランドからわずか20kmしか離れていない岬です。)
 
歌詞には私の拙訳をつけておきました。
歌詞、訳ともに間違っている部分があるかもしれませんので、鵜呑みにせず、参考にしてください。
フォーク調の歌いやすい曲です。
 
         James Connolly                          ジェームズ・コノリー
 A great crowd had gathered outside of Kilmainham,              キルメイナムの外にたくさんの人が集まっていた。(キルメイナム:キルメイナム刑務所)
 Their heads were uncovered they knelt on the ground.           彼らは帽子をとって地面にひざまずいた。
 From inside that grim prison lay a brave Irish soldier,            あの暗い牢獄には勇敢なアイルランド兵士が横たわり、
 His life for his country about to lay down.                                  その国に捧げた彼の生涯は終わろうとしていた。
 
 He went to his death like a true son of Ireland,                         彼はアイルランドの真の息子のように死へと歩いていった。
 The firing party he bravely did face,                                             彼は銃殺隊に堂々と対峙した。
 Then the order rang out, "Present arms, fire !"                        そして命令が鳴り響いた。「撃て!」
 James Connolly fell into a ready-made grave.                        ジェームズ・コノリーは用意された墓へと倒れていった。
 
 The black flag they hoisted the cruel deed was over,              奴らは黒い旗を掲げ、残虐な行為は終わった。
 Gone was the man who loved Ireland so well.                         アイルランドをかくも愛した男は逝った。
 There was many a sad heart in Dublin that morning,             その朝、ダブリンにはたくさんの悲しい心がただよった。
 When they murdered James Connolly, the Irish rebel.            奴らがアイルランドの反逆者、ジェームズ・コノリーを殺害したときに。
 
 God’s curse on you, England, you cruel-hearted monster           このイングランドめが! おまえたち残忍な怪物よ!
 Your deeds they would shame all the devils in hell.                     おまえらの行為は地獄の悪魔みんなに恥をかかせるぞ。
 There are no flowers blooming but the shamrock is growing    花はなく、シャムロックが育っている。(シャムロック:アイルランドの国花)
 On the grave of James Connolly, the Irish rebel.                            アイルランドの反逆者、ジェームズ・コノリーの墓の上に。
 
 The Four Courts of Dublin the English bombarded,                英国人(イングリッシュ)はダブリンのフォーコーツを砲爆した。(フォーコーツ:下記参照)
 The spirit of freedom they tried hard to quell.                           彼らは自由の魂を鎮圧しようとしたが、なかなかできなかった。
 For above all the din rose the cry "No surrender !"                  全ての喧噪から「負けないぞ!」という叫びが沸き上がった。
 ‘Twas the voice of James Connolly, the Irish rebel.               それはアイルランドの反逆者、ジェームズ・コノリーの声だった。
 
フォーコーツ~ダブリンの裁判所。イースター蜂起の後、アイルランド自由国の設立に伴う条約(愛英条約)の
批准を巡り内戦になった時、条約に反対する共和国派が立てこもった場所。英軍は容赦なくそこを爆撃した。
     
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ジェームズ・コノリー生誕                                    [Click]サッカーブログ 
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3件のコメント

  1. ジェームス・コノリーを調べていてこちらに辿りつきました。映画『The Wind That Shakes the Barley』の中で彼のスピーチの一説が紹介されていたのがきっかけです。

    「彼が捕らえられたときにはもはや歩くこともできないほどの戦傷を負っていました。
    彼は5月12日、7名の中では最後に処刑にされましたが、もはや立つことも出来なくなっていたため、椅子に腰掛けさせられたまま銃殺されました。」

    映画『マイケルコリンズ』はまさにこのイースター蜂起が失敗したシーンから始まっていました。

    アイルランドやスコットランドの戦いの歴史を学ぶたびに、いつもサッカーの試合でのサポーターたちの異様な盛り上がりを思い浮かべてしまいます。こちらのブログがどんぴしゃな無いようでした。勉強になりました。

    • ETCマンツーマン英会話 様
      コメントありがとうございます。
      2002年のW杯日韓大会で、イングランドの敗戦をアイルランドサポーターが喜びを持って大歓声をあげたのがついこの前のように感じます。
      このブログはMSNがブログを持っていた時代に作ったもので、現在MSNはブログから撤退し、Wordpressに移されてしまいました。
      醜い(見にくい)デザインですが、時を見て順次修正していこうと思っています。
      私もマイケルコリンズを見ましたし、DVDも持っています。
      また時間があったらおいでいただければ幸甚です。

    • コメントありがとうございました。
      古いブログですので、しっかりと管理していなくて返事が遅れたことをお詫びいたします。
      多少なりともお役に立てれて嬉しく思います。
      またチョクチョクお越しください。

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