グレース

 全てはアイルランド独立のため
 
52年前の12月13日、一人のアイルランド女性が亡くなりました。
 
その女性の名はグレース(Grace Gifford Plunkett)
 
波瀾万丈の生涯を送ったグレースは1888年3月4日、ダブリン郊外でギフォード(Gifford)夫妻の第11子として生まれました。
グレースは12兄弟姉妹の11番目で、父親はカトリック、母親はプロテスタントでした。
そして、その両親の男児はカトリック、女児はプロテスタントとして育てられました。ですから、グレースもプロテスタントでした。
16歳でダブリン芸術学校(Dublin Metropolitan School of Art)に入学すると、風刺画で才能を発揮します。
1907年から1年間、ロンドンで芸術を学び、1907年にダブリンに戻り、イラストレーターとしして活躍します。
 
いつしかダブリンの貧民層を支援したり兄弟の友人たちと付き合うようになった彼女に、ある時運命の出会いが訪れます。
彼女と同じ歳のジョゼフ・プランケット(Joseph Plunkett)との出会いでした。
ジョゼフは数カ国語に堪能でしたが、セント・エンダ校(St. Enda’s School)(註1)トマス・マクドナー(Thomas MacDonagh)(註2)からアイルランド語を学んでいました。
ジョゼフはまた、アイルランド義勇軍(Irish Volunteers)に関わるなど、アイルランド独立運動にも関心を持っていました。
 
社会活動の中でカトリックに興味を示していったグレースは、カトリック家庭に育ったジョゼフから多くを学びます。
いつしか2人は愛し合うようになっていました。
ジョゼフは当時、結核を患い、頚部リンパ節にも病変が及んでいました。
 
2人が結婚を決めたのは1915年12月、2人とも27歳の時でした。
この結婚はグレースの姉の反対に遭い、公にするのは翌年の2月になりました。
姉は、ジョゼフが結核だったということだけでなく、彼の政治への関わりに反対していたとも言われています。
 
結婚の日取りは1916年のイースターに決め、4月にはグレースがカトリックに改宗します。
 
ところが、グレースはまた運命の時に出会います。
ピアース(Pádraig Pearse)率いる反英の戦いが始まろうとしていたのです。
 
1916年のイースター蜂起(Easter Rising)です
 
結婚式目前のジョゼフは部屋を出てダブリン中央郵便局(General Post Office~GPO)へ向かいました。
蜂起は失敗に終わり、首謀者は捕えられ、簡単な軍法会議で死刑の判決が下されます。
 
ジョゼフの死刑執行は5月4日の夜明けです。
グレースは3日の夕方、ジョゼフの収監されているキルメイナム刑務所(Kilmainham Gaol)へ駆けつけます。
2人の兵士を目撃者とし、刑務所にある聖堂でマッカーシー神父(Father McCarthy)により2人だけの結婚式が挙げられました。
 
キルメイナム刑務所へ行くと、グレースの曲が流れているそうです。
 
ここではYouTubeから、ジム・マッカン(Jim McCann)の歌うGraceを紹介します。 
     
 
           GRACE
 
As we gather in the chapel here in Old Kilmainham Gaol
I think about these past few days, oh will they say we’ve failed
From our schooldays they have told us we must yearn for liberty
Yet all I want in this dark place is to have you here with me

            -Refrain- 
Oh Grace just hold me in your arms and let this moment linger,
They  take me out at dawn and I will die
With all my love I place this wedding ring upon your finger
There won’t be time to share our love for we must say goodbye

Now I know it’s hard for you my love to ever understand
The love I bear for these brave men, my love for this dear land
But when Pádraig called me to his side down in the GPO
I had to leave my own sick bed, to him I had to go

           -Refrain-

Now as the dawn is breaking, my heart is breaking too
On this May morn as I walk out my thoughts will be of you
And I’ll write some words upon the wall so everyone will know
I love so much that I could see his blood upon the rose

          -Refrain-

 
グレースはその後シン・フェイン(Sinn Féinに加わり、アイルランドの独立のため活動します。
しかし、アイルランド内戦の時には愛英条約=アイルランド自由国の樹立には反対の立場をとります。
 
心臓病を患っていたグレースは、1955年12月13日、67年の生涯を閉じました。
葬儀にはアイルランド国軍も参列し、らっぱが鳴り響く中、最後の別れを惜しみました。
弔問者の中には当時の大統領オケリー(Seán Thomas O’Kelly;アイルランド語でSeán Tomás Ó Ceallaigh)夫妻、初代大統領デ・ヴァレラ(Eamon de Valera;アイルランド語でÉamon de Bhailéara)の姿もありました。
 
-グレースは今なおアイルランドの人々の心に生き続けています。-
 
(註1)セント・エンダ校(アイルランド語名 Scoil Éanna):当時の教育システムに批判的なピアース(Pádraig Pearse)によって1908年に設立された男子高校。ここの教師や学生たちの多くが1916年のイースター蜂起に立ち上がった。
(註2)トマス・マクドナー:セント・エンダ校の校長。ピアースらとともにイースター蜂起に参画した。
 
イースター蜂起やアイルランド義勇軍に関しては2月23日のブログもご参照ください。
 
ヨーロッパ情報 ここ が便利です。

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