グレンコーの虐殺

名誉革命の果てに
 
これまで人類はその歴史の中で侵略を繰り返してきましたし、今もなお各地で侵略戦争が続いています。
ヨーロッパ中世~近世ではそれが日常であったと言っても過言ではないでしょう。
 
ブリテン島も例外ではありません。 
事件は17世紀末のスコットランドで起こりました。
1688年の名誉革命によってスコットランドではジェームズ2世が追われ、ウィリアム率いるイングランドがスコットランドにジワジワと触手を伸ばしてきていました。
名誉革命は、なるほどイングランドではほとんど無血で行われましたが、アイルランドやスコットランドでは必ずしもそうではありませんでした。
スコットランドでは、ジェームズを信奉する「ジャコバイト」が一般民衆に対しては影響力を持ち、イングランドの侵入を精神的にも防いでいました。
彼らの反乱については昨年のブログでも触れましたが、それに先立つ17世紀の末、ハイランドの小さな村で残忍な事件がおきました。
 
1691年、スコットランドを配下におこうと企むイングランド王、ウィリアムはスコットランドの、特にハイランドの氏族たちに自分に追従するよう脅しをかけます。
もし翌年の1月1日までに応じなければ制裁するというのです。
スコットランドの氏族は次々にその命令に同意していきます。
しかし、端(はな)から何がしかの制裁を加えようとするイングランドは、様々な障害を設け、意図的に一部の同意書の到達を遅らせます。
そして、1日2日になって同意書が到着し、その後の手続きの遅れから1月5日にずれ込んでしまった、グレンコーGlencoe*マクドナルドMacDonald)が制裁の標的になりました。
               *グレンコー:グレン(Glen)は「谷」の意味、コー(Coe)は川の名です。(コー川)
 
これには、イングランドと手を組んだ、マクドナルドの政敵、氏族キャンベルCampbell)の動きがあったと言われ、実際に手を下したのもキャンベルでした。
キャンベルは、調査のため1月下旬にグレンコーの氏族であるマクドナルが支配する一帯を訪れ、そこで通常の習慣通りもてなしを受けましたが、1月13日、突如その地域に焼き討ちを仕掛けました。
ある者は逃げ、ある者は殺され、マクドナルド一族は一時的にその土地から消滅しました。
グレンコーの虐殺(The Massacre of Glencoe)1692年2月13日のことです。
この事件で実際に殺されたのは38人で、他は逃亡したりして助かったと言われていますが、その手口は非難の的になりました。
実際、キャンベル一族はその地域で「村八分」に会い、寂しい生活をおくることになります。
 
この事件を扱ったバラッドが1962年にジム・マクリーンJim McLean)によって作られています。
スコットランドの「非公式国歌」になっているスコットランドの花The Flower of Scotland)を作ったコリーズ(The Corries)が歌っていますのでお聴きください。
 
 コリーズが歌う「グレンコー」
 
          GLENCOE
 
       -Refrain-
Oh, cruel was the snow that sweeps Glencoe                おお、グレンコーにそそぐ雪は惨く
And covers the grave o’ Donald                              ドナルドの墓を覆っている
Oh, cruel was the foe that raped Glencoe                 おお、グレンコーを蹂躙した敵は残虐で
And murdered the house of MacDonald            マクドナルド一族を叩き潰した。

 

They came in a blizzard, we offered them heat        ヤツらはブリザードの中をやってきて、私たちは暖を与え

A roof for their heads, dry shoes for their feet        雨風を凌がせ、乾いた靴で足を温めた

We wined them and dined them, they ate of our meat  酒をもてなし、食を与え、ヤツらは食べた

And they slept in the house of MacDonald               そしてヤツらはマクドナルドの家に泊まった

 

       -Refrain-

 

They came from Fort William with murder in mind        ヤツらはフォート・ウィリアムから殺意を持ってやってきた

The Campbell had orders King William had signed      キャンベルが命を下し、ウィリアム王が署名した

"Put all to the sword"- these words underlined         下線が引かれたことばは「全てを切り捨てよ」

"And leave none alive called MacDonald"             「マクドナルドと呼ばれるやつは全て生かしておくな」

 

       -Refrain-

 

They came in the night when the men were asleep     ヤツらはみんなが眠っている夜にやってきた

This band of Argyles, through snow soft and deep   アーガイルの軍は雪を縫って

Like murdering foxes amongst helpless sheep         無防備な羊に襲いかかるキツネのように

They slaughtered the house of MacDonald           マクドナルド一族を殺戮した

 

       -Refrain-

 

Some died in their beds at the hand of the foe        ある者は床で死に、ある者は敵の手にかかり

Some fled in the night and were lost in the snow      ある者は夜の闇に投げ出されたり雪で見失われた

Some lived to accuse him who struck the first blow    ある者は生き残り一撃をくらわせた

But gone was the house of  MacDonald.            しかし、マクドナルド一族は戻らなかった

 
       -Refrain-

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