バーティー・アハーン首相辞表提出

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このスペースではJリーグ、アルビレックス新潟アイルランド/スコットランドの歴史・文化を紹介しています。
また、アイルランドスコットランドウェールズ北アイルランドのサッカーナショナルチームをも応援しています。
私自身は理系の専門技能職で、歴史には疎いですし、アイルランドへは行ったことがありません。
しかし、重要な出来事に関してはできるだけ正確な情報をできるだけ早くお届けしたいと思っています。
お気づきの点がありましたら、メッセージなりコメントなりで是非ご教示ください。
また、何かの機会に当ブログをご友人等にご紹介いただければ幸いです。
この話題に限らず、他の記事もお楽しみいただければとも思います。
 
ボインセンターが最後の仕事 アハーン首相
 
以前のブログで予告しましたが、アイルランド共和国のバーティー・アハーン(Bertie Ahern)首相が5月6日、メアリー・マカリース大統領に正式に辞表を提出しました。
後任としては今日、5月7日、ブライアン・カウエン(Brian Cowen)氏が選ばれる予定です。
アハーン首相退陣についてはアイリッシュ・インデペンデント紙に論評とともに詳しく書かれています。
もちろん、アイリッシュ・イグザミナーでも報じられています。
アハーン首相は北アイルランド和平の進展では大いに功績を残しましたが、こと「金の問題」では不透明さを残し、無念の退陣となりました。
首相の在任期間は偶然かどうか、10年10か月10日でした。
 
これに先立ち、5月6日、ボイン川の戦場跡地のオープニングバーティ・アハーン首相イアン・ペイズリー(Ian Paisley)北アイルランド議会首相によって行われました。
ボイン川の戦いは以前にも少し述べましたが、1690年7月、いわゆる名誉革命でイングランド国王の座を追われたカトリックのジェームズ7世(イングランドではジェームズ2世)がアイルランドのボイン川でプロテスタントのオレンジ国王ウィリアム3世率いるイングランド・オランダ連合軍と戦ったもので、ジェームズ7世軍が敗れ、それは1707年のスコットランド・イングランド併合につながります。
その場所を「ボイン センター(Boyne Centre)」という歴史的遺産として残そうというものです。
ここには当時使用された兵器などが陳列され、過去を思い未来につなげようと試みられます。
日本なら、関ヶ原の古戦場跡に記念館を建てるといったようなものでしょうか。
アハーン首相の最後の仕事になりました。 
また、今月退陣するペイズリー氏にとっても恐らく記憶に残る仕事になったのではないかと思われます。
 
そして5月7日、緑の党のゴームリー氏を破り共和党のカウエン氏が新首相に選ばれました
よろしかったら 「私の愛した街」を歌うカウエン氏もどうぞ。

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