しょうがないということ

 「しょうがない」でごまかさない
 
6月17日の朝日新聞朝刊スポーツ欄に編集委員、潮智史さんのside change「熱い監督と冷めた選手」という囲み記事がありました。
監督は勝利にこだわり熱く檄を飛ばすが選手は冷めているというのです。
その中で、惨敗したバーレーン戦の後ベテランのひとりが「自分のことしか考えていない選手ばかり。」と嘆いたことを挙げ、それを受けてオマーン戦での愚かな退場でチームに迷惑をかけた大久保の行為そのものよりも、彼を「しょうがない」と簡単に許してしまう空気の方がもっと見過ごせないとしています。
 
元日本代表監督のオシムさんもこの しょうがない という言葉が嫌いです。
「しょうがない」という言葉で全部をごまかしてしまうことができるからです。
同様に「切り換え、切り換え」も嫌いだということです。
徹底的に原因を、責任を追及するのでなく、なんとなくホンワカと包んでしまおうとするのは、もしかすると日本人の「美徳」かもしれません。
しかし、それではその後の発展はありません。
リセットして切り換えれば済むものでもありません。
 
人は誰でも間違いをおこします。
もし間違ってしまったら、それが何に起因するのか、どうすれば良かったのかを精査・分析し、同じ間違いをおこさないように努力すべきではないでしょうか。
これは、サッカーを初めとするスポーツに限ったことではありません。
普通の社会生活で求められることです。
 
他山の石としたいと思います。

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