エスペラントで読んだ詩-ペテーフィ・シャーンドル

 自由と愛
エスペラントで出会った詩人
 
私自身はそう熱心なエスペランティストでもエスペラント運動家でもありませんが、日常生活でエスペラントを活用すべく心掛けています。
学生時代、エスペラントで書かれた専門書をテキストとして使ったり、外国の人とエスペラントで交流し、趣味の世界も広げました。
エスペラントを学ばなければ決して知ることがなかったであろうアイルランドやスコットランドの歌も知りました。
そして、何より嬉しかったのは、知らない言語で書かれた小説や詩とも出会うことができたことです。
とりわけ、ハンガリーの国民的詩人、ペテーフィ・シャーンドルPetőfi Sándorの詩は衝撃的でした。
 
ペテーフィは1823年、ハンガリーのキシュケーレス(Kiskőrösで生まれました。
彼の父はハンガリー語を、母はスロバキア語を母語としていましたが、ペテーフィ自身はハンガリー人であると自覚していたと言われます。
 
彼の青年期、ハンガリーはハプスブルク家のオーストリア帝国の下にあり、その圧政に苦しんでいました。
貧困の中で一家離散し、貧しい生活を おくりながらも詩を書き、ある時、当時著明な詩人であったヴェレシュモルティ(Mihaly Vörösmortyに認められました。
そして、当時沸き上がってきたハンガリー独立運動とも相俟って、ペテーフィの詩もだんだん革命指向になってきました。
失敗したハンガリー革命の1年前、1847年に書かれた自由と愛もそのひとつです。 
私はこの詩をハンガリーの著名なエスペラント詩人であるカロチャイ(Kálmán Kalocsayのエスペラント訳で読みました。
 
  Libero kaj amo (カロチャイ訳),Corvina、ハンガリー,1970
 
私はマジャール(ハンガリー)語を知りませんので、原語で読むことはできません。
 
自分の生命を愛に捧げるけど、自由の前にはその愛さえも差し出すという短い詩ですが、彼の自由に対する情熱が端的に書かれています。
 
   エスペラント                  日本語           マジャール(ハンガリー)語
 
 La amo kaj liber’:               愛と自由:                          Szabadság, szerelem!
  plej karaj sur la ter’!         この世で最も貴いもの!       E kettő kell nekem.
  Mi por mia am’ oferas        愛のために私は捧げる         Szerelmemért föláldozom
  vivoflamon,               生命の炎を、                       Az életet,
  mi por la liber’ oferas         自由のために私は捧げる      Szabadságért föláldozom
  mian amon                私の愛を                            Szerelmemet.
 
1848年になると2月にフランスで起こった「二月革命」に続き、3月にはウィーン、ベルリンで三月革命が起きました。
ハンガリーでも民族独立運動が盛んになり、ペテーフィはこの運動にも身を投じるようになり、そして3月15日、民族の歌を書き、、ブダペスト市民に対し「立て、ハンガリー人」と鼓舞したのです。
 
 Nacia kanto(エスペラント)      民族の歌(日本語)         Nemzeti dal(マジャール語)
 
 Ek, hungaro ! La patrian       立て、ハンガリー人 、祖国の     Talpra magyar, hí a haza !
 vokon aŭdu ! Nun, se iam !    声を聴け! 今や、永遠に      Itt az idő, most vagy soha !
 Aŭ plu sklavi aŭ liberi:           奴隷となるか、自由を得るか   Rabok legyünk, vagy szabadok ?
 jen demand’ !  Ĉu konsideri ?  それが問題だ!意を決するか?Ez a kérdés, válasszatok ! 
 Je la dio de l’ hungaroj           ハンガリーの神の下でと     A magyarok istenére
 diris ni,                                    われらは言った            Esküszünk, 
 ĵuras ni, ke jugon plu ne        われらは誓う、これ以上束縛を Esküszünk, hogy rabok tovább
 tiras ni !                                  甘受しないと !                  Nem leszünk !
 -------           -------        -------
 -------           -------        -------
 -------           -------        -------
 
この独立運動は翌年まで続きますが、結局は失敗に終わりました。
 
ペテーフィは1849年、ハンガリーとロシアとの間で戦われたシェゲシュヴァール(Segesvár)の戦闘で死亡しました。
シェゲシュヴァールは現在ルーマニア領にあり、シギショアラ(Sighişoaraと呼ばれています。
159年前の今日、7月31日のことです。26歳の若さでした。
  
   Weltaltas ( RV Verlag, Ostfildern, Baden-Württemberg, ドイツ, 2000 ) 加筆
 
エスペラントは、かくも衝撃的な人生を送った詩人に私を出会わせてくれたのです。
 
ペテーフィの詩集の日本語訳は1973年、ペテーフィ生誕150年を記念して発行されました。その詩集に「自由と愛」は掲載されていませんが、「民族の歌」は「立て、マジャール人」として収載されています。
                  
   テーフィ詩集(今岡十一郎,徳永康元訳編),恒文社,1973 (段ボールの箱付きです。)

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