ふるさとの歌(II)-インドネシア

ふるさとの歌(II)
(3)Halo-halo Bandung
列国の支配を断ち切ったインドネシア
ふるさとの歌(II)、第3回はオーストラリアの北西、アジアにあるインドネシア(Indonesia)です。
日本で最もよく知られているインドネシアの歌はブンガワン・ソロ(Bengawan Solo)ではないかと思われますが、その他にもラサ・サヤン(Rasa Sayang)なども有名です。
今回はもう少し趣向の違った曲にします。
[インドネシアという国]
赤道の南からやや北へ東西に連なる列島からなるこの国へは日本からも多数の観光客が訪れ、バリ(Bali)島は地上の楽園などとも言われています。
公用語はインドネシア語でイスラム教を主要な宗教とする共和国です。
農業ではココナツの生産が世界一を誇り、天然ゴムカカオバナナといった熱帯特有の農産物のほか、トウモロコシの栽培も盛んに行われています。
鉱物もを始め、ニッケル天然ガス等の生産も世界のトップクラスにあります。
そんなインドネシアも、その歴史は決して平坦ではありませんでした。
[中世までのインドネシア]
ジャワ原人の発見の地として知られるように、インドネシアには初期の人類が住んでいたと思われます。
紀元前2,000年~1,000年頃には中国、マレー(現在のマレーシア)から、そしてその後インドから渡ってきた人たちによって、インドネシアの文化が作られていきました。
中世にはいくつかの王国ができ、覇権争いもあったようです。
13世紀から14世紀にかけてこの一帯にイスラム教が広まり、16世紀にはイスラム教がこの地方の主要な宗教になります。
[オランダの支配]
16世はヨーロッパの「大航海時代」です。
ヨーロッパ各国は彼らにとっての未知の国へ探検家を送っていました。
そして17世紀に入った1602年、オランダはジャカルタ(Jakarta)東インド会社を設立し、ジャカルタをバタヴィア(Batavia)と改名しました。
東インド会社はプランテーションを作るなど主として農業を発展させていきましたが、現地住民への搾取も大きく、絶えず反感をかっていたと言われます。
オランダは当初ジャワ島の一部を自国(オランダ)領としていましたが、その範囲を拡大し、ジャワ島全域はもちろん、19世紀の終わり頃から20世紀にかけてスマトラ島までをも占有しました。
一方、20世紀に入るとインドネシアでは民族主義が台頭し、独立機運が高くなってきました。
そういったさ中、第一次世界大戦が勃発し、またロシアでソビエト社会主義革命がおきるとその影響も受け、1920年にはアジアで最初の共産主義政党が生まれるに至りました。
そのことがまた独立勢力の中での分裂を招く一因にもなったと言われています。
[日本の統治から独立へ]
20世紀半ばになると第二次世界大戦がおこり、日本は中国、朝鮮に留まらず、フィリピン、インドシナ等へも次々に軍を送り、スマトラ、ジャワへも攻め入りました。そして1942年、オランダのインドネシア支配を断ち切りました。しかしそれは同時にインドネシアが日本の支配を受けることでもありました。

 日本が占領地で発行した切手

  は現在のインドネシア、スマトラ島で発行されたものです。)
「インドネシアをオランダから解放した」日本は各種資源を確保する必要があるため、当時までオランダに捉えられていたスカルノ(Skarno、Soekarno)ら主要な人物を解放し、協力関係を結びました。
しかし、1943年に入って巻き返した連合国の前にイタリア、ドイツは次々に無条件降伏し、両国とともに「枢軸国」を形成していた日本も1945年8月15日、無条件降伏したのです。それまで日本に排除されていたオランダは一転戦勝国になりました。一方、この終戦とともにインドネシアは独立を目指し、日本が降伏した2日後の1945年8月17日、独立宣言を読み上げ、スカルノを大統領としました。尚、この独立宣言の日付(年)が05年と日本のいわゆる皇紀(2605年)で書かれていたのは注目に値します。
オランダはこれをよしとせず、英国軍との連合を組み、インドネシア軍との武力闘争に発展しました。インドネシア軍には日本軍を脱走した元日本兵も加わり、多数が命を落としたとされています。この独立戦争は4年に渡り、1949年12月に国連の仲介でようやくインドネシア共和国(Republik Indonesia)が認められ、スカルノ政権が発足しました。
  
 スカルノ大統領を図案にした切手           今がわかる 時代がわかる 世界地図(正井泰夫監修、成美堂出版)に加筆
[バンドン火の海事件]
独立戦争のさ中、1946年3月24日、オランダ・英国連合軍に追いつめられたインドネシア軍はバンドン南部に自ら火を放ち、一時的な撤退を余儀なくされました。これをバンドン火の海事件(Bandung Lautan Api~Bandung Sea of Flame)と言います。この時にインドネシア兵士たちが歌ったとされるのがこんにちはバンドン(Halo-halo Bandung)という曲で、インドネシアの英雄的作曲家イスマイル・マルズキ(Ismail Marzuki)の作曲によるとも言われています。
ただし、兵士が歌ったこととマルズキが作ったことが両立するための条件は限られています。①マルズキ自身が火をつけた兵士のひとりだった。②兵士が別の曲に詩をつけて歌ったものにマルズキが後で曲をつけた。③マルズキがこの事件とは全く無関係に、従って lautan api は一般的なことばとして使いこの事件前に曲を作っていた。④兵士たちがマルズキに事前に火をつけることを知らせ、その時に歌う歌を作ってもらっていた。どれもありそうじゃないですね。
さて、真実はどんなものなのでしょうか。
ごく自然に考えれば、この事件をもとにマルズキが後で歌を作ったのでしょうけど。
兵士たちが去る時にもし歌を歌ったとすれば、それは日本によって表に出すことを禁止されていた現在のインドネシア国歌「Indonesia Raya」だったかもしれません。
私の本棚には1962年に発行されたA6版の小さな歌集があり、その中に「われらのバンドン」という歌が収載されています。中江隆介訳となっています。
この訳は直訳ではありませんが、原詩の心を伝えるにはズバリ的を射ていると言えるでしょう。
尚、この歌集ではこの曲は「インドネシア・パルチザンの歌」となっています。
  
 緑の歌集(飯塚書店,東京,1962)
 
   われらのバンドン(訳:中江隆介)
        われらのバンドンわが勝利を待つ
       われらのバンドン焼かれた街よ
       平和の歌取り戻す日まで
       つのる思いを胸にいだき我らは戦う
原詩は次のもので、私の逐語的拙訳を載せておきます。訳はいくつかあるようですが、上の中江さんの訳が詩の心をつかんだ素晴らしいもので、それに勝る訳に私は巡り会っていません。
         Halo-halo Bandung
Halo-halo*1 Bandung ibukota*2 periangan
Halo-halo Bandung kota kenang-kenangan
Sudah lama beta*3 tidak berjumpa dengan kau*4
Sekarang telah menjadi lautan api*5 mari bung rebut kembali
こんにちはバンドン、楽しい首都よ
こんにちはバンドン、思い出の街よ
もう 君(バンドン)としばらくは会えないけど
今は火の海となった街を奪い返すのだ
*1 Halo-halo: 英語のhallo、helloと同じ
*2 ibukota: ibu=主要な; kota=都市; ibukota=首都
  エスペラントの造語法と類似します。例(エス):ĉefa=主要な; urbo=都市; ĉefurbo=首都
  インドネシア語にもこのようにして作られた単語がたくさんあります。
*3 beta: 私
*4 kau: 君
  インドネシア語は日本語と同じように多数の人称代名詞を有します。1人称でよく使われるのはsayaですが、aku、betaなどもあります。
  2人称単数は anda、kamu、saudara(男)、saudari(女)、kauなどです。
*5 lautan api: lautan=海; api=火; lautan api: 上記の「バンドン火の海事件」のことです。
※インドネシア語について
インドネシア語はオーストロネシア語族の言語の一つで、インドネシアで使われるムラユ語(Melayu)(マレー語)をインドネシア共通語(Bahasa Indonesia)と言っています。ムラユ語は古くから現在のマレーシア、インドネシア一帯で使われていたことばで、見方を変えれば、ムラユ語のマレーシア方言をマレー語、インドネシア方言をインドネシア語と呼んでいると言ってよいでしょう。インドネシア国内にはこの他、ジャワ語、スンダ語など多数の言語があります。
文字はアラビア語を起源としたジャウィ文字(Jawi)が使われていましたが、この一帯がヨーロッパ諸国の植民地になると、19世紀初めにはローマ字化されました。
インドネシア語の個々の語順は被修飾語+修飾語でフランス語に類似します(kota:都市;periangan:楽しい;kota periangan:楽しい都市)。また、接頭辞をうまく使った造語も多くあります。これは日本語を含む多くの言語で見られます(ber:自動詞を作る接頭辞;niaga:商売;berniaga:商売する)。文の構造は基本的にS+V+Oで、印欧語や中国語と同じです。
インドネシア語の発音はそれほど難しくありません。気をつけるのは e の発音で、多くは「オ」や「ウ」に近い音(英語 taken 、フランス語定冠詞 le 、ドイツ語 danken の e に近い音)ですが時にはっきりした「エ」になります。何か法則があるのかもしれませんが、私はそこまでの知識を持ち合わせていません。(kenang=クナン; beta=ベタ)
j の発音は英語と同じです。
ng は英語の going の ng と同様、鼻に抜ける音です。
YouTubeを参考にして歌ってみてください。
 こんにちはバンドン
この曲はサッカー、インドネシアリーグPersibPersatuan Sepakbola Indonesia Bandung)のサポートソングにもなっています。
 Halo-halo Bandungを歌うPersibサポーター
[第三世界の雄たるか?]
スカルノ大統領は基本的には「西側」と仲良くしつつも中国とも接近し、非同盟の立場を保ち、1955年には第一回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)を主催し、成功を収めました。
その後、幾度かの政変を経ましたが、インドネシアは非同盟諸国の一員として冷戦の谷間を生き抜き現在に至っています。

2件のコメント

  1. Firman Adi

    他の日本語でインドネシアの歌はありますか?

    • Firman Adi 様
      コメントありがとうございます。
      管理がズサンで、返事が遅れ申し訳ありません。
      私自身はインドネシアの歌に詳しいわけではありませんが、日本が占領していた時代にいくつかの歌が日本に入ってきているようです。
      少し触れたブンガワン・ソロやラサ・サヤンはそれらのうちの代表的なものだと思われます。
      何かの機会に調べてみます。

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