世界を広げるエスペラント

決して諦めない
周尭氏一周忌に寄せて
 
今から1年前の今日、12月15日、中国でひとりの偉大な昆虫学者が亡くなりました。周尭(チュー・ヨー,周尧)氏、享年96歳でした。
 
中国で1960年代から始まった文化大革命が一段落し少し経った頃、中国のグラフ誌「人民中国報道(人民中国报道)」(現、中国報道)のエスペラント版El Popola Ĉinioにちょっと目立つ記事がありました。タイトルはLi neniam* laciĝas(彼はどんな時でも諦めない)というものです。(*iamはを表します。kiam:いつ、ĉiam:いつでも、tiam:その時、neniam:いつも~ない・・・)
世界的にも著明な昆虫学者で陝西省楊凌にある西北農学院(西北农学院)の教授であった周尭(周尧)氏についてです。
中国全土で文化大革命の嵐がすさび、自由な研究が必ずしも思うようにいかなかった時代にあって、コツコツと昆虫の研究をすすめ中国の昆虫分類を集大成したという話がいきいきとした文章で書かれていました。
 
かつての日本でもそうであったように、それまで中国の昆虫研究は欧米の研究者によって行われており、標本とともにその研究業績は欧米に持って行かれていました。そんな中で周教授は「中国の昆虫研究は中国人の手で」という信念のもとにコツコツと昆虫全般にわたる研究を続けていました。
しかし、1960年代後半に始まった文化大革命の時代に学問を行うことはむしろ犯罪的にすら捉えられ、自由な研究活動が妨げられていました。高等教育で学ぶ学生も農村へ駆り出され、まさに学問不在の中国になっていました。
 
1970年代半ばに当時の指導者、毛沢東が死亡し、その他の指導者も実権を失うと急速に文化大革命が終焉し、それを鼓舞したいわゆる文革四人組が逮捕され、中国の様相は一変し、自由な雰囲気が漂いだしました。科学の春の到来でした。周教授が脚光を浴びるようになったのもその頃のことです。日本へも招かれておられます。
 
私が上記のEl Popola Ĉinioを読んだのは多分1980年前後だったと思います。その記事を読んだ私は周教授がエスペランティストであることを知り、私にとっての昆虫は単なる趣味であるにもかかわらず彼にエスペラントで手紙を書きました。今なら恐ろしくてできません。若気の至りです。
 
間もなく教授から返事が来て、何回か手紙のやりとりがありましたが、その間に周教授の学術論文や著書をいくつか送っていただきました。とても立派な図鑑もありました。 当時の日本では、一部の昆虫学者を除けば入手困難~不可能だったと思われます。著書は基本的に中国語で書かれていましたが、要約は英語とエスペラントで書かれていることが多く、教授のエスペラントに対する熱意も伺い知ることができました。
 
西北農学院はその後西北農林科技大学(西北农林科技大学)となり、中国の「国家重点大学」のひとつとして活発な研究活動を続けています。周教授もそこの教授を退官後も研究活動を続けられていました。
周教授の死は当時、中国はもちろん、世界中で報道されました。
 
エスペラントは私にこんなにも偉大な学者とも巡り合わせてくれたのです。
 
  
中国昆虫学史(昆虫分类学报社,楊凌,1980) 表紙とエスペラントの要約
周教授から送っていただいた著書のひとつです。全文中国語ですが、英語とエスペラントのしっかりした要約が付いています。本文(図入り)105ページ、参考文献一覧11ページ、、各種表51ページ、中国語要約(摘要)10ページ、英語要約18ページ、エスペラント要約17ページという立派なものです。
 
エスペラントについては是非 ここ をご参照ください。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。