エスペランティスト淡谷悠蔵

不屈の闘士、文学者、エスペランティスト
淡谷悠蔵氏逝去15周年  
 
毎年この季節になると 思い出される人がいます。昨年8月にも書いた淡谷悠蔵氏です。そこでも少し触れたように、淡谷さんは文学者、政治活動家であるとともにエスペランティスト*でもありました。大正デモクラシーの真っ直中、文学者の秋田雨雀、鳴海完造らと青森でエスペラント会を組織し、また県の大会を開くなどし、エスペラントの普及に努力されました。(*エスペランティスト:エスペラントについては是非 ここ をご参照ください。)
私の本棚や書簡箱を探っていたら、いくつかの淡谷関連資料(?)が出てきました。
関心のある方は断片的ではありますがお目通しください。
 
まずは、1981年12月30日に淡谷悠蔵全集第24巻が刊行された後、なおも実名小説「海鳴り」執筆に取り組む淡谷さんの記事です。
 
 朝日新聞1982年3月13日「政治裏面、実名小説に」
 
淡谷さんが自身とエスペラントとの関わり、青森県でのエスペラント運動について書かれたメモです。正確な日付とともに、当時の象徴的なスローガンが書かれています。
 
 淡谷さんがご自分のエスペラント史について綴ったメモ(20×10字詰めの原稿用紙。緑色。左下に「淡谷悠蔵」の名入り)
△エスペラントは生まれる前長い間人類の心の中に潜んでいた
△吾々は国民であると同時に人類の一人であることを忘れてはならない
△エスペラントはデモクラシーのラテン語である
 
淡谷さんからは毎年年賀状をいただいていました。高齢期には足腰が弱ってきていたようです。
 
 淡谷さんからの年賀状
 
暑中見舞いをご自分から出されることはなかったようですが、私からの暑中見舞いには直筆で返事をくださいました。私は淡谷さんから社会主義を教えていただいたことはついぞありませんでした。あくまでエスペラントを通しての交流でした。
 
暑中見舞いの返事
ほそぼそ乍らエスペラント読みつけています.
 
さらに晩年になるとご自身の蔵書10万冊を青森市に寄贈され、それは青森市営の「淡谷文庫」となりました。私は以前その書庫を見せていただいたことがありますが、2階建ての立派なものでした。哲学書、政治学書はもちろん、雑誌も「世界」など堅いものだけではなく、一般の月刊誌も数多くあったのを覚えています。週刊誌があったかどうかは定かでありません。
 
1991年10月11日、朝日新聞の「ひと」に掲載された淡谷さん
この記事で「社会党(当時)は政策に打ち込むべきだ。左右の様子をうかがってばかりでは、だめだね。」と言っておられます。
 
淡谷さんはこの4年後の8月8日、98歳の生涯を閉じられました。広島原爆祈念日、長崎原爆祈念日の間です。
奇しくもその日、かつて淡谷さんが牽引者の一人であった日本社会党の村山富市氏が総理大臣に就任しました。
ふと思いだしながらこれらの品々をながめた今日でした。

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